11 一ヶ月後、岡崎城の松平元康
岡崎城に入城し、もうすでに一月がたった。
松平元康は物見櫓に上って、辺り一帯を眺めていた。眼下を矢作川が蕩々と流れている。ついに三河に戻ってきたという感慨がこみ上げてくる。
今川には、自分は岡崎にとどまるので承知されたい、また女房の築山は岡崎に送り届けるようにと依頼した。すると、案外にあっさりと、自分が三河を治めることも認め、築山も今川義元の四十九日の後に岡崎に送ると言ってきた。
突然に今川義元が亡くなり、今川家中は大揺れに揺れていた。松平元康の行動に不可解なところがあったとしても、今はそのことを詮索しているどころではない、後継者問題が急務であった。また、娘婿として首を突っ込まれることも警戒したのであろう。
ことが順調に進んでいる。信長様からの親書もすでに届き、正式な同盟も進みつつある。
と、信長に想いが及んだとき、ふと杜若の鋭いまなざしが浮かんだ。
「杜若」
とつぶやきながら、桶狭間の戦いの事前に沓掛城に行った折のことを思い出した。
近々今川義元が尾張攻めをするので協力をするように、詳しくは後ほどまた知らせる旨を近藤景春に告げた。
帰ろうとすると杜若姫が挨拶に現れ、近くまで送ると言った。髪は後ろに束ね、袴をはいた姿は若衆のようであったが美しかった。幼い頃に一度会った姫もかわいかったが、このように美しくなるとは想像できないほどであった。
「お送りいたします。さあ、参りましょう。」
と言うと馬にまたがり、松平元康の返事も待たずに走り出した。
松平元康はあわてて後を追った。馬を止め降りたところは、一度、信長様に連れてこられたかきつばたが咲いている沼のほとりであった。
杜若は松平元康の付け人から離れたところに松平元康を導き、
「ここで、幼い頃言い合いをして信長様に止められたことがありましたね。」
と杜若姫が松平元康に話しかけた。
「ああ」
とだけ松平元康が答えると。
杜若姫が、唐突に、
「かきつばたは咲いたか。」
と言って松平元康の顔を見つめた。
「えっ」
と松平元康が訝しげに杜若姫を見返すと、
姫はにっこり笑い、腰に差していた脇差しを抜くと松平元康に見せた。
「これをご存じですね。この脇差しの持ち主だった方からの下知です。よくお聞きなさい。」
忘れもしない、その脇差しは織田信長の脇差しであった。松平元康が竹千代として尾張にいたとき、信長が自分を馬に乗せよく連れ出してくれた。そのとき信長は自分の前に乗せる松平元康のためにこの脇差しがじゃまにならぬように、いつも腰の後ろに差し替えてくれた。
その脇差しを今、杜若姫は自分に見せ、信長様からの下知だと言う。さきほどの「かきつばたは咲いたか。」といい、杜若は自分と信長様の密約を知っているのかと思った。
「私はすでに信長様と契りを結びました。私が述べることは信長様のお言葉です。むろん沓掛の父母はじめ家中の者は何も知りません。では、よくお聞きいただき、違えることなく果たすように。」
杜若は鋭いまなざしで松平元康を見ながら言った。
「一つめの指示は、今川義元を沓掛城に来させること。そのため刈谷城の水野信元には、『今川義元が岡崎に入る前に、尾張攻めのために刈谷城には門番を残すのみでよいから、少しでも多くの兵を緒川城に移し、今川義元様の指示があるまで待機するように、勝手に緒川城から動いてはならぬ。』と伝えること。
次に、岡崎城に今川義元が着いたとき、面会を願い出て今川義元に『刈谷城の水野信元が功をあせり、すでに全軍を連れて緒川城に移ってしまった。刈谷城には入れないので沓掛城にお入りください。沓掛城には至急準備させてあります。また沓掛城から大高城までの道案内と見張りは沓掛の者にさせる。』と報告する。
二つめは桶狭間で今川義元を迎え、『大高城に来ている水野信元を連れてきて詫びをさせたいから、ここ桶狭間でお待ちください。』と今川義元を桶狭間に留めることです。
むろん水野信元には、何も知らせず緒川城にそのまま留めておけばよい。あなたはまっすぐに大高城に戻り、三河勢を連れて岡崎城に向かえばよろしい。今川義元は織田信長様ご自身が、桶狭間にて討ち取ります。よろしいな。」
杜若が言い終わった後、あまりのことに松平元康は返事ができずにいた。
「もう一度言いましょうか。」
と杜若が問いかけると
「いや、それには及びません。承知いたしました。」
とだけ松平元康は答えた。杜若姫はにっこりすると、
「竹千代様の頃より聡明でいらした松平元康様のことですから、十分にご理解していただいていると思います。」
と言うと、少し間をおき、また鋭いまなざしに戻ると、
「ただ最後に一つだけ申し上げておきます。蛇の首をご自分で後ろから闇討ちになさってはなりませんよ。敵を討ち取ればいいというものではありませんから。では、これにて失礼いたします。」
と言い、馬に乗り駆けだしていった。
自分は杜若姫の言ったことのうち半分だけを果たすつもりであった。今川義元を沓掛城まで導くことはしても、桶狭間で今川義元を留め置かず、大高城に入れてから、討ち取る気でいた。
桶狭間では万に一つでも取り逃がす可能性がある。大高城に入れてしまえば確実に討ち取れる。桶狭間に進軍してきた信長様は、義元がいなければすぐに大高城まで来るであろう。さすれば城の内と外で連携するだけのこと。
この度の戦は今川義元をおびき出して討ち取ることが目的である。より確実に討ち取るべきだ。それに幼きときに信長様と約束したのは共に戦おうと言うことであったはずだ。桶狭間に今川義元を留められなかったことは何とでも言い訳できる。そう考えていた。
桶狭間の前夜、沓掛城で杜若の鋭いまなざしに目を合わせるまでは。
杜若が今川義元に差し出した和歌は「恋しきに命をかふるものならば死はやすくぞあるべかりける(この恋しい気持ちと我が命を換えることができるなら、命を失う死のほうがずっとた易いものなのなんだなあ。読み人知らず)」であった。「恋しき」とは信長様に対する愛であることを知っていたのは、あの場にいた者の中で自分一人であることを松平元康は分かっていた。
あの和歌は自分に聞かせるものだったのだ。その後の今川義元と杜若との歌のやりとりは、杜若が今川義元の夜伽をつとめるということであった。あの誇り高い杜若が今川義元に身を任せるということは、杜若は死ぬつもりなのだと思った。「死はやすくぞあるべかりける」とは死ぬことの方がたやすいなどという喩えではなく、本当に信長様のために死のうとしているのだと思った。
あのとき自分に向けられた杜若の鋭いまなざしに、自分は心の奥までも見透かされた。杜若姫の言ったことのうち半分だけを果たすつもりだったことも。だから、杜若は「私の命と引き替えに、必ず桶狭間に留めよ。」と迫ったのだった。
桶狭間で今川義元が来るのを待っていたのだが、なかなか今川義元の行列はこなかった。大幅に遅れた。信長様に時間的余裕を少しでも与えたい杜若が今川義元を足止めしたのであろうと思った。杜若は信長様が今川義元を討ち取ったことを知ったとき、死ぬのであろうと確信した。
あの鋭い杜若のまなざしが自分から離れない。幼いとき自分が勝ち取ったと思った信長様の前の座には、命をかけて杜若が座っていると感じた。そして「今川義元は信長が討つ。」と信長様と杜若とが二人で自分に言っているように松平元康は思えた。もはやなんとしても今川義元を桶狭間に留めなければならないと覚悟したのだった。
思えばもしあのとき、桶狭間に今川義元を留め置かず、大高城で討ち取ったならば、このように順調にことは進んでいなかったであろう。
今川方は、仇のわたしを正面から攻撃しないまでも、国境を脅かすぐらいのことはするであろう。そうなれば、今のように三河の地を固めることに専念することはできなかったであろう。また主殺し、義父殺しの汚名を着せられては、三河の者たちの信頼も集めにくかったにちがいない。
そして信長様は今川義元を討ち取ったことで、尾張を完全に掌握なさった。以前は信長様の弟信行側について信長様と戦った尾張随一の剛の者と言われる柴田勝家などは、今や信長様を神のように畏敬している。
駿河、遠江、三河の3国を治める大大名の今川義元が攻めてきた、誰もがようやく尾張を統一したばかりの信長様は危ういと思っていた。ところが、信長様は逆に今川義元を討ち取ってしまった。信長様はこの誰もが思っても見ないことを成し遂げたことで、一気にすべての者を敬服させてしまった。
もしもこの私が大高城で今川義元を討ち取ったならば、こうはならなかったに違いないと松平元康は思った。
杜若が言った「敵を討ち取ればいいというものではありません。」の答えはこれであったのだと思った。たいしたものだ、これは負けたなと思った。
だが命ある自分は、これからも信長様と共に戦っていくことができる。すでに信長様は美濃攻略を始められた。すぐにもお声がかかるに違いない。杜若、見ていろよと思った。
その時、ふいに梁田政綱に言われたことを思い出した。
岡崎城に入った十日後に、早くも信長様の親書が届いた。親書を持ってきた使者は梁田政綱であった。梁田は信長からの親書を渡した後で、杜若が自刃したことを伝え、帰り際に「取り替えた命、大切になされよ。」と言った。まるで捨て台詞のように。妙なことを言うものだと思ったが、あのときは親書のことを考えていて、気に止めなかった。そして今になるまで忘れていた。
「取り替えた命、大切になされ。」とは、わたしの命が誰かの命と取り替えた命というのか。まさか今川義元の命ではあるまい。さすれば、どういう意味だ。
「あっ」
思わず声が出てしまった。
そうか、杜若は命を捨てて、わたしに今川義元を桶狭間に留めさせた。「桶狭間に留めよ」の指示に従わなかったならば、信長様はわたしを許さず、討つおつもりだったのだ。
桶狭間の戦いの前夜、沓掛城で杜若に「私の命と引き替えに、必ず桶狭間に留めよ。」と迫られなかったならば、わたしは今川義元を桶狭間に留めずに、大高城で討ち取ったに違いない。さすれば、わたしは信長様に討ち取られ、命などなかったのだ。
杜若に勝つ、負けるなどという以前にわたしは杜若に命を救われていたのだ。しかも杜若自身の命と引き替えに。なんてことだと思った。
そのとき家臣が
「殿、刈谷の水野信元様が殿に聞きたいことがあるとお見えですが。」
と告げた。
「わしがいるといったのか。」
思わず語気強く言うと、
「いや、申しておりません。」
家臣はあわてて答えた。
「では、領内の巡視に出ていて、しばらくは帰ってこぬと言って追い返せ。」
大声でそう言った後で、
「伯父上も分からぬお人よ。」といらだって言い捨てた。
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12 一年後の景春の隠居所
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