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         母と子の松
                                藤 文一郎

  朝の部活動指導を終えて職員室の自分の席に戻ってきたとき、机上に生徒の鞄がおかれていた。
「これ、どうしたのかな。」
 と言うと、隣の席の先生が
「先生のクラスの生徒の鞄らしいですよ。さっき1年生がお墓で見つけたと言って持ってきました。」
 と教えてくれた。
 確かに鞄には「山田敏夫」と私のクラスの生徒の名前が書かれていた。
 お墓というのはこの中学校の校地に食い込むように隣接し、正門の真ん前にある。このお墓がなければ運動場はもっと広くなり、今のように100メートルコースがぎりぎりで、走り終わった後バックネットにぶつかっていくことはない。
 この学校は新設の学校であり、学校を作るときに何とかならなかったものかと思う。
 それにしても鞄をお墓に忘れるなんて、山田のやつをからかってやろうと、鞄を持って教室に入った。始業時間にはまだ少し時間があり、教室には数名の生徒しかいなかったが。都合よくその中に山田がいた。
「おい山田。これ君のだろう。幽霊にでもとられたか。お墓に忘れてあったそうだぞ。」
 と鞄を突き出して見せると。
「あっ、どこにありましたか。あの女の人が届けてくれたんですね。」
「えっ、どこって、さっき言っただろうお墓に忘れてあって、1年生が見つけて届けてくれたんだぞ。」
「そんなはずはありません。赤ちゃんの家に忘れたんです。」
 山田は納得しない顔をして、からかおうとした私に真剣な目をしてくってかかってきた。
 山田の様子が気になったので話をさせた。

 僕が昨日夕方テニス部の部活動が終わって、当番のコート整備をして、友達と校門を出た。そこにテニスボール落ちているのを見つけたので、拾って器具庫に返しに戻った。
 そのとき友達には先に行ってもらった。だから再度校門を出るときには一人だった。
 今は一番日が長いときで、いつもなら部活の後も十分に明るいのに、なぜだかそのときは辺りが薄暗くなっていた。
 校門前のお墓の横を歩いていると、赤ちゃんの泣き声がお墓の中から聞こえてきた。泣き声の方を見ると、着物を着た女の人が泣いている赤ちゃんを抱いてお墓から出てきた。
「こんばんは。」
 と挨拶しながら近づいてきた。
 あいかわらず赤ちゃんは泣いている。
 僕は
「こんばんは。」
 と挨拶を返しながら赤ちゃんの顔をのぞいた。
 すると泣いていた赤ちゃんは、ぼくがのぞいた瞬間泣きやみ、
「きゃきゃ」
 と笑った。
 僕が軽く頭を下げて行こうとすると、赤ちゃんが激しく泣き出した。びっくりして赤ちゃんの顔を見ると、泣きやんでまた
「きゃきゃ」
 と笑った。
 女の人が
「こんなに笑っている。うれしいわ。」
「赤ちゃん、あなたのことが気に入ったみたい。すみませんけどすぐそこだから家まで一緒に来てくれませんか。」
 と言った。
 僕は困ったけどまた赤ちゃんに泣かれるのがいやだったので「はい。」と答えた。
「抱いてくれる。」
 と言いながら赤ちゃんをぼくのほうに差し出した。しかたなく僕は赤ちゃんを抱いた。赤ちゃんはうれしいのかますます大きな声で
「きゃきゃ」
 と笑いだした。
「鞄は私が持ちましょう。」
 と女の人が持ってくれた。
「こちらです。」
 と言いながら女の人が歩き出したので、僕は赤ちゃんを抱いてついて行った。
 僕に抱かれて、赤ちゃんは相変わらず大声で「きゃきゃ」と笑っている。はじめはかわいいなと思っていたが、赤ちゃんの笑いは続き、逆に何か気味悪くなってきた。
 女の人は振り返りもせずにどんどん進んでいく。まだかなと僕が思ったそのとき、
「ここです。」
 と言いながら女の人が振り返った。
 そこには写真でしか見たことのない藁葺きの家があった。学校の近くにこんな家があったかなと思った。
 お礼にお菓子でもどうかと言われたけれど、もう辺りは暗かったし、早く帰りたかったので、
「僕は帰ります。」
 と言って赤ちゃんを女の人に渡すと、走って帰った。
 途中で鞄を渡したままだったことに気がついて、引っ返したけどあったはずの藁葺きの家はなかった。あっちこっち走り回って探したけど見つからなかった。

 だからお墓になんか鞄があるはずないし、届けてくれたのならその女の人に違いないというのが山田の言いたかったことだった。
「本当です。嘘じゃありません。今日帰りにその家をもう一度探すつもりです。」
 山田の普通じゃない様子に
「分かった。私も一緒に探そう。」
 と約束した。

 授業後、約束どおり山田とあの藁葺きの家を探しに行った。学校の周辺は新しく住宅が建ち始めていたが、まだ田んぼが広がっている。しかし学校とお墓の南側は集落になっていた。
「昨日はもう暗かったから分かりにくかったけど、お墓からそんなに遠くなかったし、こっちのはずだから。」
 と山田は言いながらその集落の中に入っていった。
「この辺のはずだけど。」
 と言って立ち止まったところは。家が建ち並んでいる中にぽっかり空いたようになっている駐車場だった。その駐車場の隅に小さな地蔵あった。
「これは地蔵だな。」 と私が言うと。
 辺りを見ていた山田が地蔵を見て、
「あれ」
 と言ってしゃがみ、地蔵の顔をのぞき込んで言った。
「このお地蔵さん、赤ちゃん抱いている。」
「どうかしたかね。」
 突然後ろから声をかけられた。
 二人が振り向くと杖をついたお年寄りが立っていた。
「はあ、お地蔵さんですよね。」
 と私が返事をすると。
「西中の先生と生徒さんかな。これは子抱地蔵というのだが、お地蔵さんに興味がありなさるのかね。」
 と聞かれたので、地蔵ではなく藁葺きの家を探してここに来たのだと話した。
「あっはは。」
 と笑ってお年寄りは
「わしが子供だった頃は、まだ藁葺きの家もあったが、今時はここらにはないな。」
「それにしても何で藁葺きの家を探しているんだね。」
 と聞かれたので、山田に藁葺きの家を探しに来たわけを話させた。
 じっと山田の話を聞いていたお年寄りが
「是非聞かせたい話がある。ゆっくり話したいでわしの家に来なされ。」
 と怖い顔をして言った。
 お年寄りの言葉に私と山田とが顔を見合わせるのを見て、
「いや心配いらんよ。この家がわしの家じゃ。明日来てもなくなっとりゃせん。」
 と言って駐車場の隣の家に入っていった。
 私と山田はまた顔を見合わせ、あわててお年寄りの後を追って家に入った。
 お年寄りは私たちを部屋に案内すると、ゆっくりとした口調で話し始めた。

 あなたたちは西中学校の先生と生徒さんだったね。知っていると思うが、まだあの学校は5年前にできたばかりだ。新しい中学校をこの地区に作ることになって、この地区の者はずいぶん協力した。私も田んぼの一部が学校の敷地になったときには快く協力した。
 ところで学校の前にお墓があるね。あんたたちも何でこんなところにお墓があるのかと思っているのじゃあないかね。
 実はあのお墓は予定では移転することになっていたのだよ。この地区の人たちは先祖からのお墓の移転はしたくなかったのだが、学校のためということで承知したんだよ。といっても結局は移転されなかったがね。
 話はそのお墓が移転されなかったというより、できなかったことから始めるのがいいだろう。

 お墓は現在のプールとその横の今空き地になっているところに移転するはずだった。ところが移転工事を始めると次々に問題が起こったのだ。
 今はもうないがそのときはお墓に大小二本の松の木が立っていた。その二本の松の木はずっと昔から立っていた。不思議なことに小さい松の木は若い木というわけではなく、大きい木と同じくらい古いのだそうだが、どういうわけか小さかった。その小さい松の木をかばうように大きい松の木が立っていた。
 まずその松の木を切り倒すことから移転工事が始まった。そのとき私はご先祖様のお墓の移転ということで工事の様子を見ていたのでよく覚えている。
 工事の人がチェーンソーで松の木を切ろうとスイッチを入れた。「ビューン」とチェーンソーがうなりを上げた。チェーンソーの刃が大きい方の松の木の幹にくい込んだその瞬間、「ピュー」とチェーンソーのくい込んだ幹から白い液体が噴き出した。
「グュー」と妙な音を立て、チェーンソーは止まった。
「なんだこりゃ。」「べとべとだ。」
 工事の人が叫んだ。
 離れて見ていた私も驚いて松の木の近くに行った。噴き出して辺りの墓石についた白い液体を指で触ってみた。ねばねばしていた。辺りに松ヤニのにおいが強くした。
「松ヤニだね。」
 私が言うと
「確かに松ヤニだが。すごい勢いで吹き出してきた。こんなことってあるか。ほら俺なんか全身浴びてべとべとだ。」
「おまけにチェーンソーも動かなくなった。」
 と言いながら幹に食い込んで動かなくなったチェーンソーを引き抜いたその瞬間、「ピュー」とチェーンソーの抜けた幹の傷跡から白い液体がまた噴き出した。
「うわぁ、まるで乳が吹き出すようだ。」
 と引き抜いたチェーンソーで吹き出す白い液を避けながら工事の人が言った。
 「まるで乳が吹き出すようだ。」の言葉を聞いた瞬間、私は思い出した。
 私は祖父から聞いたお墓の二本の松のいわれを、二本の松の木は母と子の墓石の代わり植えられたものだったことを。

 今はごらんのようにこの辺りは田んぼが広がっていて、今の時期はその田んぼには水が満々と張られ、稲が青々と辺り一面に広がり実に見事なものだ。
 ところが昔はこの辺りは荒れ地で少しばかりの畑しかなかった。人々はその少しばかりの畑を必死に守って生きていた。というのも水がなかったからなんだ。
 近くを鹿渡川が流れているのに水がなかったというのは不思議に思うかもしれないが、ここらあたりは高台で、たとえ近くに鹿渡川が流れていても、その水を引き込むことができない。せいぜい川まで下りて桶に水をくみ、天秤棒を肩に背負い、坂を上って畑に水をまくことしかできなかった。だから少しばかりの畑しかできなかった。
 そんな少しばかりの畑でさえ、水汲みを朝から晩まで繰り返さなくてはならなかった。大変な重労働だった。
 今は用水によって遠くの川から水を引き、たくさんの田んぼが耕作できるようになった。ほんとうにこの用水を作ってくれた方々には私たちはどれだけ感謝してもしきれないほどだ。
 話は用水のできる前、鹿渡川から人の力で水をくんでこなければならなかった頃のことであった。
 先ほどあなたたちがいた駐車場にその当時ここらの地主の屋敷があった。その地主が女中として若い娘を連れてきた。中学生さんには女中では分からないかもしれないね、今で言うお手伝いさんあるいは家政婦さんを雇ったと言うことだが。
 この雇ったというのは今の就職とは違う。若い娘の親にお金を払って連れてきた。先払いで給料はなし、簡単に言えば買ってきたということだ。人を売り買いするなんてひどい話だが、昔はよくあったことだ。
 この娘は女中と言うことで連れられてきたが、鹿渡川から水をくむ仕事をさせられた。住むところは牛小屋の片隅で、まるで牛や馬のように扱われ働かされた。今では考えられないような話だが、たった百年ちょっと前まではこの辺りでもそうだったということだ。
 娘は朝暗いうちから、夕方暗くなるまで鹿渡川から畑に、天秤棒を担いで水くみをさせられた。そして牛小屋の片隅で粗末な食事を与えられる生活を送っていた。
 ところがあるとき屋敷の主人がこの娘に手を出した。中学生さんに聞かせる話ではないかもしれないがね。この娘が妊娠してしまったのだよ。ところがこの主人は妊娠した娘を大切にするどころか、今までと変わらずに働かせた。
 おなかに赤ちゃんがいて朝から晩まで水くみの重労働は娘にとって、それはつらいことだったと思う。ところがそれよりもつらい目に娘はあうことになった。
 娘はつらい仕事のせいであろう。十分におなかで赤ちゃんを育てることができずに、今で言う未熟児で小さな赤ちゃんを産んだ。今なら保育器で育てることもできるが、未熟児で生まれた赤ちゃんは「おぎゃあ」と一声泣いたそうだが、すぐに死んでしまった。
 女中に生ませたと言うことでその家では葬式も出さなかった。母親は赤ちゃんをお墓の隅に埋めて松の木の苗を植えて弔った。
 母親は産後すぐにまた水くみとして働かされた。母親は畑に行く前にお墓に寄って、赤ちゃんが亡くなっても、張ってくる乳を泣きながら松の木の根元に搾ってかけたそうだ。
 産後体も十分でなかった上に水くみの重労働、赤ちゃんを亡くした悲しみ、それらが重なったためであろう、あるときお墓の赤ちゃんの松の木の前で母親は死んでいたそうだ。
 地主の家では今度も葬式も出さず、赤ちゃんの墓の横に母親を埋葬し、赤ちゃんと同じように松の木を植えたそうだ。
 私が子供だった頃、祖父に連れられてお墓に来たとき、小さい松の木を大きい松の木がかばうように立っているのを見て、「お母さんと子供みたいだね。」
 と祖父に言ったとき、祖父が二本の松の木について話してくれた話なのじゃ。
 お年寄りはいったん口を閉じた。
 しばらくして
「昨日のお母さんと赤ちゃんは」
 と山田が言った。
「お母さんは赤ちゃんの泣き声しか聞いてない。笑い声が聞きたかったのじゃないかな。中学生さんのおかげで赤ちゃんはいっぱい笑った。満足したのじゃないかな。」
 とお年寄りが答えた。
「お墓の移転はその後どうなったんですか。」
 と私が聞くと。
「そうそう、松の木は何度チェーンソーを使っても、松ヤニですぐ動かなくなってしまうので斧で二本とも切り倒された。しかし、墓石を動かそうとクレーンで持ち上げようとするとワイヤーが切れて、工事の人がけがをしたり、ブルドーザーが溝に落ち運転手が骨折したりする事故が相次いだ。工事の人たちは気味悪がるし、その話を聞いた地区の人たちはやっぱりお墓を移転するのはよくないと言い出し、結局お墓の移転は中止になった。
「そうだったんですね。正門の前にお墓なんて変だなとか、お墓がなければもっ と運動場が広いのにと思っていました。」
 と私は納得した。
「あのお地蔵様はお母さんと赤ちゃんですか。」

 山田が言うと。
「あの子抱地蔵はわしのじいさまが建てたものだ。」
「その後地主の家では不幸が重なって、隣から出て行ってしまった。ところがその土地に他の人が家を建てても、赤ちゃんもいないのに泣き声がすると言った噂が立ち。ついに空き地になってしまった。わしのじいさまは女中と赤ん坊のことを思ってあの子抱地蔵を立てたのじゃ。」
 いつのまにか窓の外が赤かった。

「お話、ありがとうございました。そろそろ失礼します。」
 私と山田はお年寄りにお礼を言って、家を出た。
「お地蔵さんにお参りしていきます。」
 山田は隣の駐車場の隅にある子抱地蔵に手を合わせた。私も手を合わせた。
「さあ、帰るぞ、すごいきれいな夕焼けだな。」
 と私が言って、空を見上げると
「ほんとですね。」
 と山田も空を見て言った。
 とそのとき赤ちゃんの笑い声が後ろから聞こえた。「えっ」と
思って振り返ると、誰もいない。ただ子抱地蔵が立っているだけだった。ただその子抱地蔵の母親の顔も赤ちゃんの顔も笑っているようだった。


                   
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